美人画報 ワンダー

美人画報 ワンダー

書名:美人画報ワンダー
著者:安野モヨコ


・・・・・・。
何読んでんだか。
この忙しいときに。
勉強しなければならないのに。
・・・・・・。
まあ、この人はいつでも大事な時期に関係のない本を読んでいるのですよ。
グノーシスとか
グノーシスとか
グノーシスとか(しつこい)


本書で美人画報はすべて制覇(嘘だと思った人、過去ログみてみ これとか)
勿論雑誌で読んだことはないのだが(そもそもどの雑誌の連載だったかもわからん。何?VoCE?見かけたことすらないなぁ)、名前は聞いたことがあった。
絵も見たことがあるかも知れない。
この人の作品は未だに1冊も読んでいない。


なんでまたこんなものを読み出したか。
変身願望があるわけではない。
トランスジェンダー願望もない。
「おしゃれ」に興味はない(黒ければなんでもいい。それこそ黒装束でもかまわない)。
どのくらいないかというと、着ている服のブランドが解らないくらい(そもそも服のブランドそのものが解らない)興味がない。
ファッション系の雑誌は手に取る気すらおきない。
まあ、なにもそこまで強調しなくても良いけど。


『ファッションの歴史』という本を上下巻で何故か所有しているが、購入以来一度もページを繰っていない(なら買うなよ。お前が買う本はそんなのばっかりじゃないか)。


で、なんだっけ?
あ、そうそう、何故私がこのシリーズを飽きもせずに読み通したのか、ということか。
理由は2つある。
1つは違う世界への単純な興味関心。
ふーん、こんなこと考えてるんだ、とかへー、そんなことするんだ、といった消極的関心。
その証拠に、ページの端から端まで丹念に読んだにも拘わらず(これはこの人の習性。前書きから脚注まで全て読み尽くさないと気が済まないのね、この人)、微塵も「おしゃれ」「美容」に関しての知識がついていない(いや、自慢することじゃないと思うぞ)。


この本に関してはその世界への興味関心というよりも、単に美しいエッセイとして読んでいた、というのが正しい理由だろう。
美しい、というのは文体でもなく、絵でもなく(絵はさすがに漫画家だけあって美しかったけれども)、そして失礼だが著者近影でもなくて、文章に込められた著者の思いの美しさである。
いわば魂の美しさ、といっても良いのかも知れない。


エッセイを読んでいると時に「美しい魂」に遭遇することがある。
それは勿論著者の魂の美しさ(念のため断っておくと、私は唯物論者である)からくるものであるが、本という形で書かれることにより、肉体という制限を乗り越えて、その純粋な思いだけが昇華され、更に目の前に相手を置かないという状況によって(エッセイを人に見せながら書くような人はいないだろう)、余計なものを取り去った著者の本当の思いだけが綴られることによる一種の奇跡なのだろう。
実際には書いているように行動できる人は稀で、肉体は美しい思いをしらけさせるような作用を及ぼすから、これはやはり書によってしか見ることの出来ない奇跡なのである。
だから私は美しいエッセイを書く著者に会いたいとは思わない。
そして書に深くのめり込むのである。
この、魂の輝きの他は何もいらない。


話が違う方向にそれたが(まあ、いつものことだ)<恐縮です>、本書は「美しいエッセイ」として、私にとって価値ある書であったという評価である。

なぜだろう
その気持ち、痛いほどに解る。