今年1年の総括をしたい(ついでに12/23以降の日記を補完したい)ところではあるが、本格的に腹が痛いので明日以降に延期する。
年明けにまた病院にでも行った方がいいのかもしれない。
まあ、どうせまた「何も問題はない」「気のせいだ」と言われるに決まっているけど。


ここ(実家)にいても休まることはない。
かえってストレスが溜まるばかりだ。
ただでさえ劣悪な住環境に、人を休ませない存在が1つ。
仕事を辞めてここにかえってこざるを得ない状況になれば、それは地獄の日々だろう。
それだけは避けたいと努力すればするほど、身体を壊して次第にそのリスクを高めることになっている一昨年からの状況は、例えるならば蟻地獄にはまりこんだ蟻のごとしである。
まあ、それもそのうち慣れてしまうのだろうけど(慣れなかったら死ぬだけだ。それはそれで救いではある)。


08/01/03である。
やっとここまで辿り着いた(寄り道のしすぎだよ!)。
この日(07/12/31)の出来事はたいしたこと無いので(気分悪いのに外食に連れて行かれて何も食わずに本を読んでいた→昨日のメンバーの半分とカラオケに行ってやはり気分が悪かった&自分の歌の衰えぶりに驚愕した→早すぎる夕食の後本格的に腹が痛くなってブログを放置して寝た)、無駄な行を発生させる必要はない。
早速総括に入ることにしよう。


まずは1年を通しての概観から。
1月から卒業までの期間は、(卒論も含めて)ほとんどが後処理のようなものだった。
残念ながら記憶に新しくない。
既に気持ちが就職に向いていて、その過程のことをあまり記憶に止めておけなかったのだろう。
この辺りは今年の日記を冊子にした後で読み返さなければならないだろう。
教習所通いを取りやめ(主に精神衛生上の問題から)、基本情報技術者試験の勉強に(あまり熱心ではなかったが)取り組んでいたのも確かこの時期。
4年間勤めた塾と塾生に別れを告げ(塾生の皆さん、ひどい講師でした。申し訳ありません)、新しい地に身一つで(寝袋持参で)降り立った。


4月からは怒濤の日々。
研修、研修、研修。
頭の中研修だらけ。
寝ても起きても課題のことばかり。
4月に受験した「基本情報技術者試験」の合格通知、日程を前倒し気味に進む課題、平均点を上回るテスト結果だけを支えにひたすら前に進んだ。
希望通り開発の仕事に就かせてもらったものの、7月の半ばには疲れとストレスでただでさえひどい身体が限界に達して、1度崩壊。
8月半ばの東京行(と実は足繁く通っていた7月末の病院通い)にてやや取り戻して配属先での業務が始まる。


9月、10月はやや楽なペースで仕事が進む。
それというのも仕上げの時期に入っていて、回ってくる仕事があまりなかったから。
時間にはゆとりがあったが精神的にゆとりのない日々。
理由はもはや本人には不明。
ただ、会社で干されている人の気分が何となく解った。
業務では忙しくはなかったが、資格試験等で休日を中心に忙しい日々。
身体は小康状態。


11月に入って業務が本格化。
コーディングが始まってしばらく経って休日出勤が始まる。
そこからはデスマーチ
実働時間と帰宅時間だけ見れば(少なくとも私は)たいしたことがないと言われるかも知れないが、それは本人のキャパシティ依存の話。
入社8か月でプログラム歴はそれより1か月は短い人が製品になるコード書いているのだから、少しは大目に見て欲しいものである。
12月に入るとまさに師走の忙しさ。
(少なくとも平日は)勉強に割く時間が全くなくなり、ひたすら目の前に積まれた仕事をこなす日々。
また、ついに回ってきた統合作業。
疲れと寝不足(と恐らく栄養不足)で体力が低下した(あ、忘れてた。寒さも)身体に胃の痛くなる仕事。
これで完全に参って、現在に至るまで回復しない長期低迷に。
日中は食事が喉を通らぬ(というよりも喉は問題なく通のだけれど、その先で詰まる)。
文検、ソフトウェア開発技術者試験の相次ぐ合格通知も慰めにならず、ただひたすら月日が過ぎるのを待つ悲惨な状況に(って書けているだけまだ大丈夫ってことでしょ。問題はこれから。本当にブログの更新が止まるようなことになるかもね)。


ざっとこんな感じか。
(なんだ、卒論は適当でともかく卒業して、塾辞めて、徳島行って就職して研修で無理して夏休みで少し回復して、初めての仕事で大変でした、ってだけじゃん)<じゃあ、あんたが代わりにやるか?>
(うへえ、俺はそんな面倒くさいことごめんだぜ)


さて、と。
相変わらずうるさい外野は放っておいて、分野別にまとめるか。


まずは勉学について。
いや、ひどい卒論だった。
そういえばわずか1年前は学生(華の大学5年生!)で、卒論を書いていたのだった。
?
あれ?
このレポート(そのうちリンクします。「ポストモダン」のレポートです)、日付が1/1になっている。
??
ヲイ
卒論書かずに何やってたんだよ。


まあ、そんなことがなくてもひどい卒論だった。
今年は、学業を諦めた年でもあった。
普段あれだけ本を読んで偉そうな文章書いている割には、この人、学力がとてつもなく低いのです。
特に語学が×
文系で語学が駄目ならまず道はない。
科学的手法が確立している理系に比べて、文系の唯一の強みといえば外国語が読める(「話せる」は後でも良い)というただ一点である(反論歓迎)。
科学として認知されている経済学ならまだしも(この人、学科が経済なのにまともに経済の勉強してないの、しかも肝心の数学が××)、その他の学問(文系の皆様、努力しましょうね)となると、語学が駄目なら「何しに来たの?」と問われるほどである。
で、卒論という逃げ場のない環境に追い込まれれば少しは努力するかな〜とはかない期待を抱いてみたものの・・・。
×
結局この人は独自の道を行くしかないのでした。


まあ、負け惜しみではないけど、自分のやりたい学問は大学では出来ないし、また出来てはならないとも思った。
どういう学問、と言われても返事に窮するが、まあ、強いて言うなら正統派から大きく外れた哲学、とでも言えばいいのだろうか。
最近改装した(のにまだ貧弱な)HPやブログ(世界を記述する 紙々の誰そ彼)でやっているようなことに近い。
少なくともアウトプットとしては。
ただこれはまだ見ての通り貧弱で、理論も整ってない(その基礎理論となる「世界は何故いかにして物語なのか」の執筆は今年中に終える予定だったのに終わらなかった)。
早くても3年、遅ければ10年はかかるだろう。


いずれにしても進学はすっぱりと諦め(もともとそのつもりも無かったんだけどね、一応選択肢にはあったみたいだから)、少なくとも10年は大学には戻らない決断をした。


就職後の勉学は、仕事に関係する方は10月までは順調。
取るべき資格も2つとも取れた。
11月からは停滞気味。
まだ継続して学習しないと、すぐにじり貧になることは明らか。
今のプロジェクトが1月末で落ち着いてくれることを切に願いつつ、少なくなった休日も出来る限り勉学に充てたい。


仕事に関係ない方は酷い状態。
少なくとも語学、数学、国語、政治経済、歴史に関しては勉強を続けるつもりではあったのだが、この内まともに出来ているのは英語のみ。
まともといってもその進み具合は遅々たるもので、塾講師をやっていた昨年までと比較すると恐ろしいほど「勉強」していない。
このままではまずいので、何か策を、と言いたいところだが、利用可能な時間が増えるはずもないので既に万事休す。
ていうか。
本当にブログやめるか?
今日もなんだかんだ言ってブログを6時間近く書き続けているぞ(もう片方のブログがメインだけど)。
いや、まあ、ブログは既にプロジェクトの一環なので書き続けます。


まあ、今年は特に仕事関係の学問に時間を割いたということで。
しっかりと蓄積して復習を怠らなければそのうちそちらに割く時間を減らして代わりに違う方の学問が出来るよ。
たぶん。
きっと。
もしかすると。
・・・・・・。


何の慰めにもならないので、次。


08/01/06である。
意外に時間がかかっている。
昨年まではこのことを見越して「総括」そのものを諦めていたのだろうが、今年は最後まで完遂するモチベーションがある。
たぶんよっぽど記録しておきたいという気持ちになっているのか、或いは・・・。
ネット文化からすると、古いブログのメンテナンスはするだけ無駄(なぜなら新しいものしか読まれないから。或いはRSSで読んでいる人だとそもそも更新そのものが認識されない?それとも逆か?)なのだが、まあ、これは私の自己満足なので。


勉学の次は読書。
今年の読書は例年以上に不毛だった。


スタイルとしては相変わらず乱読。
新書・文庫の類が基本ではあるが、純文学、大衆文学、古典、エッセイ、政治、経済、社会学、心理学、哲学、宗教、倫理、進化生物学、情報、歴史、軍事、などありとあらゆる分野(ただし主に文系)の書を脈絡なく読む。
勿論その分知識の傾向としては「広く浅く」なり、何の「役にも立たない」塵ばかりが積み重ねられていく(積み重なっているかどうかすら怪しいが)。
この中に言語学が入っていないあたり、実は文系といってもだいぶ偏りはあるのだが。
かっこつけるならば、私はリベラルアーツ志向だ、ということになるが、まあ結局のところただの活字中毒者に過ぎない。


11月に上京して大学の後輩に会い、彼らの役に立てばと勝手に「格差」の研究を始めたが、12月に入って忙しくなってからはそれもどこへやら、いつの間にか読みたい本の読書にシフトしていた。


今年の読書が不毛だったのは以上の私の悪癖が直らなかったこと、ではなく(そもそも直す気などない)に「価値観を根底から覆すような」「魂を揺さぶるような」書に出会わなかったという点において、である。
それは古典に取り組まなかったことが原因の一端ではあるが(例えば三島は意外なことに一冊も読破していないし、正月休みになってようやく『カラマーゾフの兄弟』を読み始めた)、何よりも本を薦められる機会を失ったという点が大きいように思う。
永井均にせよ、村上陽一郎にせよ、野矢茂樹にせよ、ジャレドダイアモンドにせよ、あるいは数々の古典にせよ、大学の講義、ゼミの尊敬すべき大先生、勤め先の塾の同僚から教えてもらった書ばかりだ。
私は薦められた本は基本的に全て読むという訳の分からないポリシーを持っていた(技術書は例外)。
新しい環境では本を薦められることが極端に少なくなった。
そうなると自分で発掘するしかないのだが、忙しくなると新しい作家や研究者に挑戦する機会が減り、既知の著者の著作に偏った読書となる。
これは乱読の時期を抜けて、系統だった深い読書をするようになったというプラスの傾向ととることもできるが、私の学のスタイルと目指すべき知的あり方からすれば、この保守化は危険な兆候と捉えるべきであろう。


この状況を打破するためには、同じような(文系の)乱読家と情報を交換するしかないが(例えば11月に上京した結果、私はようやく重い腰を上げて宮台を読んでみることにした。結果は想像したとおりひどいものだったが)、現在その手段はこのブログしかない。
しかし、昨今の沈鬱な記述から(?)、このブログへのコメントは激減している(もともと大して多くはなかったが)。
今のところ打開策はなく、現状ではとにかくこちらから書の情報を発信し続けることで誰かの反応を引き出すことしか出来ない。


読書量としては、読んだ冊数は数えていないから解らないが、例年と比べるとやや減ったか?
恐らく減った分はテキストや技術書、仕様書などを読んでいた分だろうから、全体の活字読書量としてはあまり差はないように思われる。
相変わらず目標の1日1冊にはほど遠い(3日に1冊程度)。
年300冊以上読んだ年もあったからなぁ(あの頃読んでいた本が単に薄っぺらいものばかりだったのかもしれないけど)。
来年はもう少し読むべし。
まずは2日に1冊を目標に。


本を買う方では、既にこのブログでは何度も書いているので馴染みのことであるが、順調すぎるぐらいに順調であった。
何せ読む量の5倍は購入しているのだから。
今年購入した本「棚」は既に埋まり、平積み状態の本があちこちに溢れている。
本用に充てたクローゼットの1つは既に埋まってしまった。
まだ引っ越して1年経っていないのだが・・・。
あと半年もすれば、再び書の置き場所に困るような事態になるのだろう。
まあ、この1年、書の置き場所に困らなかったということ自体がこの人の性癖からすれば僥倖だったのであるが。


従来の関心の対象になかった情報系の技術書を購入するようになったこと、収入が増えたことにより、文庫化・古書化を待たずに目にとまったものを片端から購入するようになったことが原因である。
が、今のところ本の購入を手控える予定はない
悪癖だと知りつつ、文系の唯一の拠り所は書であるということを十分に自覚しての行動である。
ただし、予算は気にしてもらいたいものである。
このままでは書で破産しかねない(昔と違って書を売り払っても二束三文にしかならないしね)。
まったく。


健康面では大いに後退した。
現在の持病(厳密には病気ではないか。心身症?気質??)を抱えるようになったのは大学の1年、悪化が始まったのが2年から、その後は一進一退で、昨年は比較的落ち着いていたように記憶している。
しかし、今年はこれまでで最も「追い込まれた」年であった。


私の場合、それは直接身体の不調という形で現れる。
精神的な落ち込みはほとんどない。
ブログではひどいこと書いていることもあるが、実際にはメンタリティはそこまで後退していない(はずである)。
アンケートのような調べ方をすれば、常に「鬱」或いは「極度の鬱」の状態にあり、自尊心が完全に損なわれているという判定となるのだろうが、本人は精神的な苦痛はまったく感じていない。
その分ストレスや疲れが身体を直撃して過度の反応を引き出しているのだろうが。


さすがに疲れぐらいは感じるが、私の場合ストレスをストレスとして感じる機構に欠落があるようなので、そもそも感じることの出来ないストレスを「解消」することなど出来ない。
だって、「不快感」は避けたり「快」によって解消できたりするけれども、「胃腸の痛みや不快」はどうやって「解消」すればいいというのだ?
休む、とか無理をしない、というけれども、中途半端に休んでも一向に症状が改善しないのは既に経験済みだし、「無理」を感じる機構に欠落があるのだから、どこからが「無理」でどこまでは「いける」のかなんて解るわけがない(そもそもその考えがいけないのだ、とはよく言われる。しかし、勧められた「3日くらいなにもしないでぼーっとする」なんて、私には絶対に出来ない。そんなことしたら死んでしまう)。


それでも努力だけはしている。
可能な限り早く帰るようにしているし、可能な限りストレスが溜まりそうな場面(人と会う)は避けているし(それが逆にストレスになっているのだとしても私には解らない。胃腸に聞いてくれ)、可能な限りストレスが解消されそうなこと(本を買うことか?支払い請求で胃を痛めてるんじゃないか?)をしている。


運動に話を移せば、研修が落ち着いた時点でバドミントンのサークルを紹介してもらって、以後週1回通っている。
来年の2月でなくなってしまうらしいが、既に代わりは見つけている。
これに加えて徒歩或いは自転車での通勤、秋口からは、週に2回程度のランニング帰宅、最近は行かなくなったがバッティング、自宅で素振り、などなど。
ただしそのどれもが、「運動している最中は体調は少しましになるが(ただし運動前に胃薬服用した場合に限る)、運動後(しかも2日後とか。身体は既に老齢化しているのか?)には運動しなかった時よりも体調が崩れることがある」という良いんだか悪いんだか解らない状態になっている。
まったく運動しなくなると最悪の状態になる(太るとかそういった話ではなく、胃腸がまったく機能しなくなるとかの話)ので、運動は続けるが、あまり期待できそうにはない。


運動と言えば、ソフトボール大会があったが、ひどいものだった。
バッティングはよくやっているからまだましだったが、守備が目も当てられないようなひどさだった。
壁当てがしたいが場所がなく、キャッチボールをしたいが相手がいない。
まあ、それはどうでもいい。


体力は低下していない(むしろ走り出してからわずかではあるが向上している)が、胃腸の暴れ方が酷くなっているのと、バドミントンの練習が極端に緩くなったのとで、(主にバドミントンの)運動能力は全体的に低下していると見るべきだろう。
別にスポーツ選手ではないのでそのまま下手になっていくのはかまわないのだが、少し寂しい。


健康面は改善の目処が立たない。
夏場に完全に失った食欲は今も回復しない(ただし、体重は変わっていない。いったい何をいつ摂取しているんだろうか?)。
現在は、少なくとも職場ではまともな食事は出来ない。
午前に少し(これは従来通り)、午後に少し(これも実は従来通り)、夕はパス(これもなんと従来通り)、夜食の時間帯に少しまともに摂っている感じである。
実はこれは夜塾の仕事をしていた大学時代とほとんど変わらない。
しかもその時期の一番ひどい時(朝6時と夜12時のみの食事)に近い形にもどりつつある。
それで安定すればまだいいのだが、安定するどころか徐々にひどくなっているように感じる。
まあ、これもとらえ方次第で、4月から就職するにあたり抱いていた、「3食きちんと摂る『規則的な生活』をすれば健康状態が改善するのではないか」、という淡い期待が完全に裏切られただけで、劇的な改善は夢のまた夢、ストレスと疲れが増えた分、以前よりも酷い状態になったという当然の結果であったとみることも出来る。
下手な希望など抱くから絶望に捕らわれるのである。
既に幸福などほとんどの希望を捨て去った私ではあるが、今年は「健康願望」という己の病的な希望を捨て去る年であったととらえるべきであろう。
・・・そうでないとやりきれない。


人間関係は相変わらず。
見知らぬ土地に居を移した分、(仕事以外の)人との関わりは激減した(元々大して多くはなかったが)。
新しく所属した集団は同期グループとバドのグループとの2つ。
そのいずれともつかず、離れずといった感じの距離感。
前者は小集団だけに、バド後に遊びに行くなど少しはつきあいらしきものもあったが、後者に関しては飲み会に出席する程度(最近は体調を崩しているのと忙しいのとでさぼり癖がついた)。
ただし、前者は2月解散らしいので、来年は更に人付き合いが減ることが予測される。


相も変わらず基本は独りである。
もっとも、これは当人が望んでやっていることなので、周りに落ち度はない。
余程のことがない限り、この社会において、孤立するという状況は発生しない。
大概の場合、「独り」という状況は本人が望んで作り上げているものであり、同情の必要はない。


飲み会の席で、隅っこで1人沈黙を保っているのも今に始まったことではない。
ただ、1つだけ言い訳させてもらえば、私は人間関係において必要以上に神経質なのである。
相手の発言は100%聞き取らなければならないし、自分の発言は100%誤解の無いように伝わって欲しい。
しかし、これは実現不可能なことである。
特に1対多或いは多対多という状況になる飲み会のような席では、それは望むべくもない。
この結果私は、誤って相手に伝わるぐらいならば沈黙を保つ、という姿勢から隅っこで黙って話を聞くことを選択している。
私と1対1もしくは少人数で同席したことがある人なら、意外に私が多弁であることを知っていることだろう(ただしこれは十分に私が自らの意図したことを伝えうる時間が与えられている場合に限る)。


誤解の無いように言っておくと、私は飲み会は自分の意志で参加している。
そこで交わされる情報にメリットを感じるからである。
ただ、私自身に関して言えば、問われたことには答えるが、それ以上に何かを語る必要性を感じない。
私の興味関心は形而上学的なものであり、飲み会の席で交わされる「軽い話」は私にとってどうでもいいことであるから、発言を求められても困る。


以上の悪癖はかつて尊大な自我イメージを抱いていた頃の名残なのだろうが、未だに完治していないらしい。
結局この人は大人になりきれていないのだろう。
自分で言うのもなんだが、まだ思春期の不安定な自我を引きずっているのだろう。


卑屈さは尊大さの裏返しである。
誇大化した自己イメージが崩壊した衝撃から未だに立ち直れず、かつて己の力量を過信していたことの裏返しとして、自己に対する自信を完全に失ってしまっている。
今の私は卑屈さの塊である。
しかもそれは卑小な自分、等身大の自分を認められないというところに端を発しているから、そこには自我の分裂が生じている。
自分が自分に大して他者であるというこの事実は、適切な人間関係の形成を阻害する。
その結果として、目上の者はおろか、目下のものに対しても「敬語を使う」以外の距離の取り方が出来なくなっているのだろう。
その点では、私は未だに「社交的引きこもり」のままだ。
しかも事態をさらに難しくしているのは、当の本人が「大人になること」を依然として拒絶し続けていることである。


幻想は解け、ニヒリズムは第3段階に移行した。
後は時がこの問題を解決することを待つだけである。
或いは永遠に治ることがないかもしれないが、それはそれで仕方がない。


夢・・・か。
語るのにこれだけ抵抗があるということはやはり未だにその衝撃から立ち直っていないからなのだろうな。
どこかで頑なに立ち直ることを拒絶しているところがあるのだろう。


この年まで生きているつもりはなかった。
少なくとも就職して、いわば「普通」の生活を送っているというイメージは持ち合わせていなかった。
人並みに働いて自活することはこれほど大変なことなのに、就職することはすなわち私にとっての敗北の象徴であった。
かつての私であれば、今日々の業務に追われて死にかけている私を容赦なくこき下ろしていただろう。
それほどまでに私は世界を知らず、そしてそれ以上に己の力量を知らなかったのだ。


かつて私は常にこう願っていたものだ。

我に力をさもなくば死を

畜群として生きることには何の意味も見いだせなかった。
ただ生きて、世代を重ねるだけの存在に存在意義を認めなかった。
かくも私は世界を拒絶し、ニーチェを誤読し、誤った自己イメージの中に閉じこもっていたのだ。


その思想の一部は今でも変っていない。
生には何の意味も見いだしていない。
ただ、世界に対する異常なまでの憎しみが自らに対する憎しみに変わり、生を謳歌するものたちの幸福をその破滅の代わりに願うようになった。
私自身の幸福の道は断たれた、いや、自ら断ち切った。
後は他の人の幸福を阻害しない範囲で余生をまとめていくだけである。
人々よ、幸せであれ。


それでも、生きるという決断をし、現に生き続けているからには、自分を奮起させるモチベーションが必要である。
何かに打ち込んでなければ、ひたすら自己と世界の破滅を願うという自分の悪癖が頭をもたげてくるだろうから。
既に数多くの醜態をさらしてきている私ではあるが、このような醜い状態になってもまだ美しくありたいと願うのは人の悲しきさがか。


とりあえず自らの哲学の結果辿り着いた、「世界は物語である」という直観を形にする作業に取りかかり始めた。
今年、このブログの他に以下の2つのブログ(「世界を記述する」の方は一昨年から始めている)、及びHPにてその活動の端を開いた(本来はこれらに先行して、今書いている論文、「世界はなぜ、いかにして物語なのか」を脱稿させなければならないのだが、そちらにはまだ時間がかかりそうなので、不本意ながらもこちらの作業と平行して行うことにした)。

世界を記述する
紙々の誰そ彼
知の吹きだまり

梅田氏も述べているように、ブログの出現により、誰もが自らを表現する「メディア」を持った。
私もまたその見解に同意し、自らのアウトプットの場として、Webという場を選択することにした。


私の目的は「物語世界論」の完成であり、その理論に基づいた物語の創出である。
これを最終的には自らライフワークと定めたオリジナルの神話を創世することに繋げるつもりである。
しかしそのもの自体は、「物語」という形での完成、少なくとも書籍という形での出版を目標とするものではない。
私の目的はあくまで私の中の物語の完結であり、その言語化である。
それはアウトプットとして何らかの完成品を要求するものではない。
人の目にとまるものにする必要もない。
だから私は自らの物語をより完成度の高いものとすべくブログ・HPに掲載する文章を充実させ、HPを最適化していくが、それをより多くの人に見てもらうための工夫やSEO対策などは特には行わない。
誤解して多くのものに伝わるぐらいなら誰にも伝わらなくてもよい。
私の目的は金を儲けることでも有名になることでも賞賛されることでも、理解されることですらない。
これはやせ我慢でもかっこつけでもなく、真に自分が望んでいることである。


夢への努力と挫折とは、私に自らが真に望むものへの問いかけを強いることで、結果として私に生き続ける道を見いださせた。
現在私は敗者として、敗者としてあるべき姿や生き方への道を歩みつつある。
仮に<わたし>がそれを死ぬまで認めることが出来なくても、少なくとも私は正気である限り生き続けるだろう。


皮肉なことに体調の面で追い込まれたことで、創作のモチベーション及びその力は向上したように思われる。
今年は例年以上に詩をかいた(その多くは形をなしていないが)。
言葉を紡いだ。
そしてそのほとんどが意図したものではなく、自然に私の手から流れ出た言葉であった。


アウトプットの作業は予想以上に時間のかかるものである。
しかも当初想定していたよりも遙かに文章が書けない。
だが、焦ることはない。
まだ始まったばかりである。
はかなく崩れ去った方の夢と比べて、時間に制限もない。
比較する相手もいない。
望ましい完成形態もない。
己が納得するだけ、己が納得するまでそれを磨き続ければいい。
そのための一歩を、今年は歩み始めた。


最後に、今年の収穫を整理しておこう。

  • 卒論を仕上げて大学卒業を果たした(とても納得のいくものではなかったが)
  • 地元の旧友と旧交を温めた
  • 塾において自らの義務を果たした(全員合格させることが出来なかったのは私の落ち度である。深くお詫びする)
  • 基本情報技術者試験に合格した
  • 研修を終えて希望どおり開発の仕事に携わることになった
  • 製品になるコードをかいた
  • HPをリニューアルした(まだ中途半端)
  • 文検2級取得
  • ソフトウェア開発技術者試験に合格した
  • 新たにブログを2つ開設(内1つは更新が滞っているが)
  • 懸賞応募用のブログ記事(あらかじめ失われし理想)が選抜された(梅田氏に読んでもらえる記事が書けた)


どれも微々たるものだ。
()で留保がついているように、必ずしも納得のいく結果になっていないものも多い。
しかし、卑小な自分の存在を認められるようになるためには、1つ1つ積み重ねていく他はない。


これらの全てが無駄になっても、(そしておそらくそれらは無駄になるのだろうが)私は私が歩いた奇跡を記録することを選択する。
或いはこれは私自身に課した贖罪なのかも知れない。
そのことを今ここで論ずることはやめよう。
時がその答えを用意しているだろうから。

願わくば
一刻も早くその時が訪れんことを


課せられた義務を終え
約束の期日が過ぎ
囚われの身から解き放たれ
約束の地へ


光と闇とが混在するこの地上ではなく
光しかない
闇しかない
光も闇も存在しない
彼の地へ


そのような福音の訪れを
ただただ待つ

汝飛翔せる魂よ
今しばらく地上[ここ]にとどまり
汝のなすべきことをなせ