Javaデザインパターン徹底攻略 (標準プログラマーズライブラリ)

Javaデザインパターン徹底攻略 (標準プログラマーズライブラリ)

書名:Javaデザインパターン徹底攻略
著者:日立ソフトウェアエンジニアリングインターネットビジネス部


ようやく読み終えた。
この手の本は業務と直接関わっているにも拘わらず、なかなか頁が進まない。
未だにコードを読むのが苦痛な駄目プログラマ


本書は人によって評価が大きく分かれそうな書である。
特徴は、必要最小限のコードで説明しているところ。
このレベルのコードなら、研修の時の自分でも読むことが出来たはずだから、Javaかき立ての初心者でもデザインパターンを学ぶことが出来る(しかし、親クラスのコンストラクタを暗黙的に呼び出すことすら知らなかった私が商品に組み込まれるコードを書いている現状は果たして良いのだろうか)。
また、コードが最小限であることから、「何のためにこのパターンを使用するのか」がはっきりしている。
反面、コードがシンプルすぎて、デザインパターンのありがたみは伝わらない。


この本を読む最良の「パターン」は、難解なデザインパターンの本で何か1つのパターンをどうにか読み解いて、その「ありがたみ」を身に染みて感じた後にこの本を手にとって各パターンの核(だじゃれじゃないよ)を習得する、というものであろう。
要するに、「パターン」を習得するモチベーションは他で高めた上で本書を手に取ることをお薦めするということだ。


Javaで本格的なプログラム(少なくともクラスを2桁は作成するプログラム)を組む必要があるJava初心者は是非読破して欲しい書。
ちなみに自分の感想では、他のデザインパターンの本はJava初心者だと軒並み挫折すると思う。
私もこれからまた読み直し。


とりあえずその前にJavaチュートリアルを読破しよう(600頁もあるけど)。


生きさせろ! 難民化する若者たち

生きさせろ! 難民化する若者たち

書名:生きさせろ! 難民化する若者たち
著者:雨宮処凛


開いた口がふさがらなかった。
「夢追い型」で(とりあえず今のところは)充実した人生を謳歌しているフリーターから、過労自殺に追い込まれた正社員、職にあぶれて路上生活を余儀なくされているホームレスまでを一緒くたにして、「彼らに生きる権利を与えろ」と要求する。
そのいい加減さもさることながら、要求そのものにもなんら正当性がない。

しかし、なぜ「やりたいことをやる」ことが、ホームレスまで覚悟しなくてはならないほどのことなのだろう。そもそも、そこからしておかしいのだ。やりたいこととその後の人生が引きかえにされるなんてあまりにも残酷ではないか。


雨宮処凛 『生きさせろ!−難民化する若者たち』 p98 L6〜L9

いや、あんたの方がおかしいよ。
この世界にリスクのないチャレンジがあるだろうか。
失敗の責を人になすりつけられるのはせいぜい成人するまでで、それも家庭によってとれるリスクは異なるから、親が提示したより以上のリスクを子が「自分で」とるというのなら、それは子の責任となってしかるべきである。
それともこの人は、全ての人に?千万の楽器を購入して?千万かかる芸術学校に通わせて(レッスンを受けさせて)?年もそこで学習させた上で結局それが実らなかったとしてもその人の職と生活が保障されるような社会にしろ、と言っているのだろうか。
そんな贅沢なことは多くの人が鼻から無理だと諦めているし、それでも子にチャレンジさせたい(或いは子がチャレンジを望む)家庭はそれなりのリスクをとっている。
そもそも子を大学に行かせること自体が既にリスクであり、それは憲法で保障された「健康で文化的な最低限度の生活」の範囲外であることは小学生だって解る(本当は高等学校ですらそうなのだが)。


やりたいことをやりたい放題でリスクは取らない、失敗したら国に面倒見てもらう、という状態のことをまさにモラルハザードというのである。
これも小学生(小学生の皆さん、ご免なさい。頭の悪い大人の人のせいで比較されて)でも解ることである。


読んでいて、国に手厚く保護されることに慣れきってしまった日本国民の堕落がここまでひどくなったかと怒り心頭に発した。
やりたい放題やって落ちぶれていくのは自由だが、国家にはいちいちそれをすくい上げる義務はない(これはいくら「福祉国家」であったとしても同じことである)。
「国家」の義務は「健康で文化的な(このあたり私は納得がいかない)最低限度の生活」を保障すること(ただし例えば国家に対するテロリストに生活保護を与えるべきかという問いに関しては私はNoと答える立場をとる)であり、それ以上の何ものでもない。
そして現状、それは「生活保護」を保障することである。
格差社会」研究の過程で、「生活保護の受給査定が厳しすぎる」という意見をよくみかけたが、「個人の尊厳」(しかもこれは人によって程度の差が違う。例えば私は集団で健康診断を受けさせられるだけでひどく尊厳を傷つけられたと感じるが、だからといってこれをいちいち国に訴えるようなことはしない)まで国が保障する必要はないし、第一そんなこと不可能である。


権利は義務と表裏一体であり、自由には責任が伴う。
自由に振る舞いたいが責任は取りたくないという人は自由に振る舞うがいい、こちらも自由に阻止させていただくから。
それぞれの自由は相手の自由を侵害するから人は秩序というものを作り出したのである。
それを否定するなら、好きなように振る舞って勝手に滅びればよい。
社会を否定するくせに、社会からの保護を自らの権利と主張してやまない「サヨク」のわがままは聞き飽きた。


そんなに気にくわないなら奪い取ればいい。
あくまでこの世界は弱肉強食の生存競争である(だからこそ物語が生まれる)。
デモでも暴動でも手段はなんでもいいから奪い取って見せろ。
それでこそ本当の「左翼」だ。


もちろん、自己責任で。


追記
ところでこの人、高野さん(インサイダー)のお薦めだった人なんだけど・・・。
高野さん、面白くないっすよ、この人。


書名:NHKテレビ新3か月トピック英会話 2007 11―出張!ハートで感じる英語塾 (2007)


午前五時台に起床し、ラジオ体操のあとNHKの英会話を見ている。
一見健康そうだが、夏以来、1日とて体調が良かった日はない(相対的に見ても)。
まあ、私の不健康の話はどうでもいい(私も書き飽きた)。


この人の本(「ネイティブスピーカー」シリーズ)はかなり良い本であった。
日本人がなかなか身につけることのできないネイティブスピーカーの感覚を、図を巧みに使用して表現していた。


英語を「英検2級」(高卒程度)から上達させるためには、「日本語で考えて英語に訳す」という作業を止めなければならない。
多くの日本人がつまずくのはこの段階である(そもそも中学からの英語教育が間違っている、という話はここではしない。ちなみに私は文法から入る英語教育は必ずしも悪いものだとは考えていない)。
人間の脳の回転速度と記憶量には限界がある。
ワンクッション置いて(一度訳して)読み、書き、話すということでは、膨大な情報を処理しきれなくなる。
また、一対一対応で覚えられる単語の量には限界がある。
従って、ある一定の水準を突破するためには、そもそも「英語で考える」ということが出来なくてはならないのである。
その意味でこの人の著作は有益な情報を提供していた。


「楽しく学習する」ことには否定的な私ではあるが、勿論「楽しい」に越したことはない。
各地で出張授業の形式で行われる本放送は感情が摩耗した私が見ていても「楽しい」授業である。
水準がやや低いのと、そのために結局「関係詞」とか「不定詞」といった文法事項の説明になってしまっている箇所が多いのが残念であるが。


テレビの授業の方は「楽しさ」重視のためにやや内容が薄いのが残念であるが、テキストの内容は悪くない(これと逆なのが月曜日の朝に再放送している「テレビで留学!」。こちらはテレビの圧倒的情報量と比較して、テキストの抜粋がひどい。第一、日本語訳書いたらだめでしょ)。


ドライな私がハートで感じることはないが、頭にとって有益な栄養となった。
英語学習に行き詰まりを感じている方にお勧め。