大学から就職活動にかけて、最も大事なことは自分が「本当にやりたいこと」を探すことである。
これが言葉の分かりやすさとは裏腹に、なかなか難しいこと。
まず、誰にも「小さい頃からさせられていたこと」というものがあり、両親の期待という要素がこれに密接に関係してくる。
そして、それに対する自身の反発から続けていること(これがない人は心理的に親から独立していない人で、人生のどこかの場面でこけるリスクをずっと持ちづけていることになる)が対立軸としておかれる。
そこに密接に絡んでくるのは、自己の理想、一般に職業に関して言われるところの「夢」である。
そしてその両親の期待−自己の理想(「夢」)の軸の外からこれを錯乱させる要素として、友達など自分を取り囲む周りの人間、その周りの人間に対するコミットメント(ここでは「公言」の意)、さらには社会からの刺激(特ににっくきコマーシャリズムからの刺激)が加わり、「本人のやりたいこと」は複雑に絡み合った藪の中に隠されてしまう。


単に「歌うことが好き」だとしても、自分のために歌うのが好きなのか、人のために歌うのが好きなのか、歌っているときの高揚感が好きなのか、相手に気持ちが通じているという感じが好きなのか、大勢の人の前で注目されるのが好きなのか、人に誉めてもらうのが好きなのかなど様々な「歌うことが好き」がある。
その性質によっては、必ずしも歌手になることがその人の「本当にやりたいこと」を実現することとはならないし、逆に人前で歌うことによって歌に入ることが出来ず、そのことで歌っているときの高揚感を得られないのであれば、その人にとって歌手になろうとすることはただ苦労して苦痛を買っているだけに過ぎない。
そういう人は何でもいいから就職をして、カラオケに通う時間とお金を手に入れた方が自分の「本当にやりたいこと」に近づくことが出来る。


自分らしさを追究したいなら何もタレントになる必要はないし、文章を書くことが好きだとしても作家になる必要はない。
勿論、出来るだけ多くの人に自分を見てもらいたいなら手段としてはテレビに出る必要があり、出来るだけ多くの人に自分の書いたものを読んでもらいたいのであれば現状としては出版という手段が最適であろう(しかし既にαブロガーはその欲求をネット上でみたしつつある)。
しかしその際も何故「多くの人に自分を見てもらいたい」のか、何故「多くの人に自分の書いたものを読んでもらいたい」のかを考える必要がある。
それが、例えば高校の時に友達に公言したからなどというつまらない意地とか、自分は特別な人間なのだから何か特別なことをしなければならないという間違った自己認識から来ているのであれば、それは一度見直す必要がある。



才気に溢れた天才ならば、すっとタレントにでも歌手にでもとにかく自分の才能が向いているものになってしまって、その後で「本当にやりたいこと」を考えればよいが(その結果としてなぜか「普通の女の子になりたい」という素っ頓狂な結論がでることもあるが)、悲しいかな我ら特に何の才能も持ち合わせていない凡人は、与えられたモラトリアムの期間に自分が本当にやりたいこと」を徹底的に考えておかなければ、後悔だけが残る最悪の人生を送ることになるのである。


尚、夢追い型のフリーターとなって自らモラトリアムの期間を延ばすという手段もなきにしもあらずであるが、あまりお勧めはしない。
だいたいその場合に出る結論としては「平凡な人生を送りたい」といったものに落ち着くのだが、気づいたときにはその「平凡」は望むべくもない状況に陥っていることが多いからだ。


とにかく、最初の就職までに、「本当にやりたいこと」を確定しておくことである。
そうすれば最初に入った会社で「本当にやりたいこと」が出来るかの見極めが早い段階で出来、昨今はやりの転職による失敗などという事態にも陥らなくて済む(勿論転職による成功の可能性も開ける)。
ただし、この国は一昔前と違い、年功序列が崩れつつあるから、「そのうち自分のやりたいことをやらせてもらえるだろう」という期待は抱かない方が良い(10年、20年経たないと「やりたいこと」をさせてもらえないような就職先にとどまることは高いリスクとなる)。
↓詳しくはこの本を読むこと。

若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書)

若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書)


ちなみに。
「手短に」と前置きした割にだらだらと文を連ねていることからも解るように、現時点でのこの人の「本当にやりたいこと」は「1冊でも多くの本を読んで」「思いのままに駄文を書き連ねること」である。
「本当にやりたいこと」を蒸留した結果、作家から作品をふんだくってくる編集者も、教授の趣向にかなう方面の研究をしなければならない研究者も、はたまた売れるまで赤貧の生活に甘んじなければならず、売れてからも自らの書きたいものを書かせてもらえない作家も、自分の人生の選択肢としてはないということが判明した(勿論この凡才ぶりではなりたくても到底なれなかっただろうけど)。


「1冊でも多くの本を読んで」「思いのままに駄文を書き連ねること」ために最適な手段は何でもいいから就職してしまうことである。
それも必要な資金と時間を確保するために最適な手段としては、安定して職を確保できる技術を身につけることである。
それが今の私の職業選択となっている。


従って、本来の「やりたいこと」が出来ている限り、そして技術が着実に身についているという実感がある限り、私は現在の職にとどまり続けるだろう(お金が貯まっちゃったら辞めるだろうけど、まあ、10年では無理な話)。
が、どうも来週から休日出勤(私の生活リズムだとおそらく日曜出勤)らしいから、私の「読む・書く」は既に危うい状態にある。


最近体調不良について語らないから、体調が良いのだろうと思われるかもしれないがこれが大間違い。
単に「最悪な状況よりはややまし」状態で安定しているだけ。
これ以上良い状態は望みようもないだろうというところがこの人の最大の弱点であり、ペシミスティックな態度の元凶。


アプリケーションを開発する上で知っておきたいハードウェア・OS・アセンブリ言語の基礎知識が詰まった良書。
なのだが、2点問題がある。
1つは、「初心者向け」と銘打っているほどこの書の記述、展開が初心者向けではないということ。
初めて読む本がこの本であるとすれば、間違いなく挫折する。
論理演算など説明が不足している(しかもあろうことか算術右シフトの説明は間違っている)箇所が多い上、C言語でひいひい言っているような初学者がアセンブラ機械語を並べられたらひっくり返るに違いない(序盤のVisualBasicの例も説明が不足)。
2つめは、間に挟まれる「コラム」。
はっきり言っていらない。
対話形式で特に解りやすいということもなく、ウケを狙っているのだろうが少しも面白くはない。


他にも難点はいくつかあるのだが、情報処理のテキストを読み飽きていた自分にとっては無機質な用語の解説書よりよほど読み応えはあった。
基本情報技術者を取った人向けのステップアップ本とみなした方がいいだろう。


ワーキングプア―日本を蝕む病

ワーキングプア―日本を蝕む病

良書。
気がついたら二度と這い上がることの出来ない蟻地獄に落ちてしまっていた「ワーキングプア」の人々の実態を詳細に知ることができる。
現在のこの国の経済環境、雇用事情を考えればよほどの資産家でない限り誰にとっても他人事ではない話。
詳細に関してはレポートをまとめたのでこちらを参照。
ただ、もう少し統計数字にこだわりを持って欲しかった。
希有な例を取り上げたのであればそこら辺のワイドショーや週刊誌と大差ない。
政府に調査を求めているが、天下のNHKなのだから、自分たちで調査を敢行すればいいのである。
そうしたら皆納得して受信料を支払うだろう。


下流社会 第2章  なぜ男は女に“負けた

下流社会 第2章 なぜ男は女に“負けた"のか (光文社新書)

トンデモ本
第1章は自分で読んではいないが、内容は人づてに聞いてだいたい把握している。
第1章も本書もそうであるが、肝心の統計用のアンケートが雑誌の読者アンケートの類の項目ばかりである。
ロリコン気味」とか「マザコン気味」なんて統計の数字をとってどうするというのだ?
それに答える方も答える方だ。
まあ、著者の(そして本書の読者の)興味関心は「下層」ではなく「下流」社会にあるらしいので、仕方がないと言えば仕方がないのだが。
佐野氏も批判しているが、間違いなく「格差」を考えるために本書を読んでも何も解ったことにはならない。
ただし、(主に統計とは関係のないところで)著者が述べている分析や提案に関しては聞く価値のあるものも多い(その部分だけ集めれば、10分の1で済むのだが、それでは本が売れないのだろう)。
特に、「非正社員の全てが正社員になりたがっている訳じゃない」「ユニクロ地域限定社員は高く評価できる」といった分析、提案は現在の「格差」対策を考える上で重要な視点である。
こちらもレポートをまとめたので詳細はこちら