「休日は会社」が定着してきた。
まだ仕事をしていないから遊びに行っているのと大して変わらないが。
勉強は私にとって遊びである。
そもそも何の望ましい結果も持たないという点では、生きていることそのものが私にとっては遊び以外のなにものでもない。


では、何故「楽しまない」のか。
理論レベルで言えば、楽しむことが自分の苦しみを増すことに繋がるからである。
苦しみは相対的である。
楽かった記憶が苦しみを増大させる。
自分の首を絞めると解っていることを敢えてすることの意義が私には解らない。


感情のレベルで言えば、そもそも「楽しい」ということがどういうことであるか、私には解らないのである。
原因は、<わたし>の存在にある。<わたし>は常に冷静に「私」を観察している。
その冷ややかな視線の前で、「私」は瞬時に現実に引き戻され、苦しみを再認識させられる。
ここ数年はさらに「わたし」の自己主張が強い。
これまでさんざん無視してきたことへのあてつけかどうか知らないが、1日のうちほとんどを「私」を突っつくことに費やしているようだ。
まあ、よく分からない話になって来たが、要は、私には「楽しい」がどういうことを指すのか解らないのである。


見返りもないのに何かを一生懸命やることが「楽しんでいる」ことにあたるのであれば、私は十分に人生を楽しんでいるのであろう。


そうでなければスライドを59枚も作った後に、こうして3日分のブログを書いたりはしない。
夕食を摂るのも忘れて(完全に忘れると「わたし」の猛烈カウンターパンチをくらうのでパンだけ食べたが)スライドを作り、霧のような雨の中を泳ぐように帰って来て、このように寝るべき時間にせっせと駄文を書いている。


これを楽しんでいると言わずに何というのか。


明日から研修で最もきつい1週間が始まる・・・。