9/21である。
この日は結局飲まないで帰ってきた。
最近はこの手をよく使う。
飲みたいと思うこともある。
沖縄の旧友とは飲みたかった。
しかし、烏龍茶飲んでいても体調が悪くなるようではな。


だが、大抵は飲むことは馬鹿らしいと考える。
ニーチェも言った。

子供のときわたしは、飲酒や喫煙は、はじめは若者たちの虚栄にすぎず、後にそれが悪習になるのだ、と思っていた

賛同


だが、私が飲み会が苦手なのは終わった後の自己嫌悪がすさまじいからである。
顔が赤くなったことやぶっ飛んだ発言をしたことなどではない。
自らの尊大さがいかに自分を駄目にしたかということをこれほど思い知らされる場はないからである。
胃腸をやられたのは天啓かも知れない。


それにしても。
このような場で決まって交わされる色恋話にはうんざりする。
他に話すこと無いのかね。
まあ、若いということなのだろうが。
色恋には無縁なだけに、これがあと少なくとも20年は続くのかと思うとうんざりする。
素面でも哲学談義は望むべくもないが、このような場ではますますそうなのだろう。
哲学以外に興味をそそる話題もないから(あとは強いていえば本の話か)、必然的にこのような場に参加する意義が何もないということになる。


なに繕ってるんだって?
昔は私もそう思っていたさ。
しかし、「習い性となる」と言ってな。