だから何なのだ。
別に日が昇らなくともかまわない。


次の一瞬に全てが消えて無くなる恐怖というものがあるらしい。
恐怖は肉体に起因しているから、それは私にもあるだろう。
しかし私にはあっても「私」にはない。
例えば朝目覚めて、私が蝶になっていたとしても、一向にかまわない。
ただしそれは、「私」も「蝶」になっていることが前提である。
いくら「私」でも、「私」のまま蝶になることはごめんこうむる。
歌も歌えず本も読めないのは地獄だ。
カフカの変身の恐怖は「私」のまま虫になってしまうところにある。
もし「私」も「蝶」になるというのであれば、例え"hungry spider"の網に引っかかったとしても、私(蝶)は微塵も恐怖を感じないだろう。
そのまま引き裂かれておしまい。


正直言って期待はずれだった。
代表作という看板故に、期待が大きすぎたのかも知れない。
趣旨は解るのだが、ストーリーに面白みが欠ける。
ランプはどうなったの?
それから三人のアドルフ。
確かに関係はしているけど、あまり絡んでないではないか。
うーん。
いまさんぐらい。


ある閉ざされた雪の山荘で (講談社文庫)

ある閉ざされた雪の山荘で (講談社文庫)

これはそこそこ面白かった。
"雪月花"には多少劣るが。
やはりこの人はミステリーを書くべきだな。


ネイティブスピーカーの英文法絶対基礎力 (Native speaker series)

ネイティブスピーカーの英文法絶対基礎力 (Native speaker series)

良い。
大体、今の時代流行っているものはとんでもなくくだらないものが多いのだが。"せかちゅー"(名前が似ていて非常に迷惑。ああ、もしわたしが小学生とか中学生だったらまた新しいあだ名が増えるんだろうな〜)とか"いまあい"(この略は正しいのか?)とか、『バカの壁』とか『バカの壁』とか『バカの壁』とか『バカの壁』とか・・・(養老さんは脳の本を書いていればいいのです)。
しかしこの本は良い。
このシリーズは全て読破するつもり(塾の同僚のY氏から貸してもらっているのです。謝謝)。
特にこの本は自分でも買って塾の生徒に読ませよう。


だれが「本」を殺すのか〈下〉 (新潮文庫)

だれが「本」を殺すのか〈下〉 (新潮文庫)

so great!!
佐野さん、素晴らしい。
よくもまあこんなに調べた。
ジャーナリストの鏡だ
皆さん、見習いましょう。
ただし下巻は上巻に比べるとややpower downしているかな。
この方もまた、全著作制覇のリストに名前を載せる(勿論"私の"ですよ)。


落下する夕方 (角川文庫)

落下する夕方 (角川文庫)

江国香織村上春樹に似ている気がする。
あくまでも文体が。
あっさりしている。
へんな言い回しが出てくる。
しかもそれが繰り返される。
この本は春樹の"スプートニク"に似た雰囲気だった(あくまで雰囲気が)。
まあ、嫌いではない。


うーむ。
ここは本の紹介ブログではないのだが・・・。

3/2のこと


高校の後輩と映画を見に行った。
『ルー・ザロメ』という。
ニーチェが執心していた相手の話。
ニーチェ好きの私は、勿論知っている話。
鞭で打たれている馬に抱きついて「ワーグナー!!」というシーンとか。
疲れが限界に来ているのか、その日摂取したカフェインが異様に体の代謝を促進し、途中二度も中座した。
終わったときは目の疲れと脱水症状で疲労困憊だった。
それでもまあ楽しかったが。


前に見たのは『オペラ座の怪人』だから、だいぶ前だ。
しかし映画館というのはどうも苦手だ。
「私」はなんとも思っていないが、体は苦手らしい。
前に見たときも一回だけ中座した。
あのあと胃腸の病気ではないかと病院に行ったが、長い診療を経たあげく(いろいろなことをやらされた)、機能的な異常はないとの診断。
まあ、ストレスなんだろうけど、本人はこれを解決すべき問題だとは思っていないから対処のしようがない。
あくまで自分の哲学だと言い張るだろう。
「病気が私の思想を漸進させた」と言っていたのは、他でもない、ニーチェだ。


確定申告にいかなくては。