自分以外の何かになりたいと思うことがある。
それも、自分以外であれば誰でもいいと思う。
それが夢想であることも忘れたわけではない。


沈思黙考という言葉がある。
言葉に出すとその十分の一も伝わらない。
伝わらないのが嫌だから言葉にすることをやめる。
自分から発せられた問いが、自分の中で渦を巻く。
それは下へ下へと自分を引っ張っていく。
そして文字通り、自分の中へ沈んでいくのだ。


思想は独りで抱え込むとより独善的に、反社会的に、自己破壊的になる。
だが、語るべき相手を持たない。


諦観がある。
だが、諦め切れていない生身の自分がある。
思想の純粋さに耐えられない自らの精神をどうするか。


知ってしまったことを忘れることは出来ない。
チャーリィーは知らないでいいことを知ってしまった。
不幸とはすなわち知ることである。
無邪気とは無知の別の名にすぎない。
知らないことは幸せである。
だが、同時に、無知は最大の罪である。


・・・・・・。
・・・・・・。


だぁああああ!!!
かったるい。
もう、知らん!
バッティングに行くぞ!!