私の喝力でした

大沢親分の訃報を今日初めて知った。


毎週日曜日の朝、とかく怠惰に陥りがちな休日の朝において、
その日を有意義に過ごすことが出来ていたのは、
親分の「喝」を聞くために早く起きる習慣を身につけていたからである。
親分の「喝」が私の目覚ましだった。

親分。
親分は野球とは何の関わりもない一市井である私にとっても
「親分」でした。
この場で親分とお呼びすることをお許しください。


親分は私のふるさとの恩人でもあります。
今年の夏、私のふるさとの野球部がついに悲願の
深紅の優勝旗
をふるさとに掲げて帰って参りました。
これも親分が私のふるさとの野球の振興に努めてくださったおかげです。
大変感謝しております。


県勢の活躍をご自分のことのようにお喜びくださったこと、
大変感動いたしました。
生涯、忘れません。


親分の野球に対する想い、そして、
暖かい思いやりの心は、テレビ越しにも十分伝わっておりました。
親分の「喝」は、不肖私にも、
がんばる活力を与えてくださいました。
ありがとうございました。
そして。


お疲れ様でした。


ご冥福を心よりお祈り申し上げます。