人の役に立つために時間を使うことを休止する

人の役に立てることは、生きている上で至上の喜びである。
殊人との絆だけが人生の目的となっている私にとってそれは死活問題ですらある。
(勿論自己満足であることは毎日毎秒自分に言い聞かせた上でのことである)


だが、そのためには自分の方にゆとりがなければならない。
飢餓輸出は長続きしない。


今の危機意識はここにある。
近い将来、ゆとりがなくなる私は、誰のためにも何もしてあげることができない人間になってしまうのではないかという焦りである。
それはせっかく見つけた私の存在意義をまた失ってしまうことを意味する。
そして、それは私にとって死に等しい恐怖である。


これから先も、私が誰かのために何かをしたいと思うならば、そのための基盤固めをしなければならない。
そのためには時間と体力と(非常に残念なことに)お金が必要だ。


勿論、その間も私は生きていなければならないから、自分に出来うる限りのことはしたいと思う。
そうしなければ参ってしまう。
だが、以前のようにはそれは行わない。


私はまだ絆を断ち切って生きることを選択しない。
だから、私の方にまずゆとりを作る。
そのために、私は人の役に立つための活動を休止する。
再び誰かの役に立てる人になるために。


まあ、終わりが約束されているのならば、一蓮托生も悪くはないと思ってはいるのだが。
しかし、私のエゴのために誰かを巻き込むようなことだけは絶対に避けなければならない。
そのためのステップだ。