悪いサイクルが続いている。
体の調子が悪い→仕事が遅い→残業が多い→食生活が不規則(私は会社ではまともに食事が摂れない。社食から足が遠のいて1年にもなる)→ますます体調を崩す→(以下繰り返し)
1週間の勉強量・読書量・アウトプット(論文執筆など)が極めて少ない。
資格試験を申し込んだものの、まったく勉強していない。


単に怠惰なだけなのもあるが、あまりにも循環が悪すぎる。
今日を有給にしたのは、気合いを入れて勉強をするため、ではない。
勿論それでも良いのだが、恐らくそれは今日1日だけで、明日以降はまた悪い循環に逆戻りしてしまうだろう。
それではいけない。
習慣を作らなければならないのだ。
そのための、有給である。


これまでの私であれば、まあ、仕方ないさ、どうせ余生だから適当に生きればいいや、となっていたところだが、今は真剣にこの悪循環を断ち切りたいと思っている。
これだけ無才・無能・不器用な私でも、応援を求められることがある(員数合わせ的なものではない。もしそうならここまで奮起しない)。
私は、私自身のことはどうでもいいとしても、この要請には応えたい、求められるクオリティのものを提供し続けていきたい、そう思った。
そのためには、よりインプット・アウトプットの質・量を高め、仕事や作業の効率を上げ、余裕を持つ必要がある。
彼らは日々進歩している。
当然のことながら、彼らの求めるものはより高度なものになっていくだろう。
その時、私がそれに応えられなかったとしたら、それは非常に残念なことである。
そう考えるようになった。


さて、この悪循環の源は何か?
体が言うことを聞かない、というのは勿論大きな要因ではある。
正直言ってこの状態はつらい。
幸いにもまだ精神がもっているからすぐにおおごとにはならないだろうが、かなり危険な爆弾である。
だが、いくら不安定要因を抱えているとはいえ、一応仕事は出来ているのである。
(なんだかんだいって、残業100時間超の月も乗り越えた)
仕事を辞めるくらいしか対処法のないこの要因はもう前提条件とするしかない。
では、その次は何か?
それはこのブログではないかと思う。


以前にも首が回らないほど多忙な時に、ブログをやめることを真剣に考えたことがあった。
しかし、Webというツールを駆使して発信をしていく、というのは私にとってのライフワークである。
これをやめてしまっては、後には何も残らないのではないか、極端な話、働き続ける理由すらないのではないか(私には欲しいものも、夢もないので)、と考えて、思いとどまった。
だが、最近の記事はどうだろうか。

  • デスクトップマシンのサポート期限が切れるというので、継続見積もりの依頼を電話にて行った

 →担当が手一杯なので折り返しかけると言われた
 →「急ぐか」と聞かれたので「外出の予定があるので出来るだけ早くお願いしたい」と答えた
 →4時間待っても音沙汰なし
 →待っているのがアホらしくなった+諸処の事情により、外出を敢行した
 →帰ってきた今でもまだ音沙汰なし(17:00迄らしいので、本日中の回答はないのだろう。しかも平日しか受け付けていないらしいので、次の有給の機会ぐらいしか再度コンタクトをとれる時間帯はない。さらに、ここが不思議なところなのだが、オンラインでの回答を得ることは何故かできない仕組みになっている(直接電話で応対することで断りづらくする戦略だろうか?))

  • 某有名英語雑誌のサービス終了通知("SERVICE INTERRUPTION NOTICE")が届いた

 →私の名前の漢字を思いっきり間違えていた
 →もともと忙しくて読めていなかったので続けるつもりはなかったが(2度の電話(しかも勉強会真っ最中の時に!)でも断り続けた)、これを見て「2度と定期購読してやるか」と思った(というのはウソ。私の名前は間違われやすいのだ。つけた人の見識を問いたくなるくらい。まあ、間違われるのには慣れているので、この程度でキレたりはしない。単にネタとして面白そうだったので極端な書き方してみた)
 →まさかと思って、同時に届いていた最終刊(継続しないので恐らくこれが最後)の宛先を見たら、やっぱり間違えていた。つまり、最初からずっと間違えていたのだ


とまあ、こういう日常のどうでも良いことばかりだらだらと書いているのである。
(上の2つのネタは比較的面白い事例ではあるが)
私がαブロガーで、ブログ記事で暮らしを立てているとか、作家で連載エッセイを書いているのならまだしも、本業以外の部分でこれだけの時間を取られてしまっては、他には何も出来なくなるのは当たり前である。
先日のブログに「書きたいことと書くべきことが山ほどある」と書いたが、それらが書けない理由は、このような駄文にあるのではないか。
そして、この駄文を書くのにはモニタに向かわなければならないが、仕事でじっとモニタ眺めて帰ってから(或いは朝起きて仕事に行く前に)、またモニタと睨めっこしているわけだから、疲れもする。


勿論こうして書くことは、普段愚痴を言わず、他人に相談もしない、一匹狼きどりの癖に精神が脆いこの人にとっては、ある種の自浄作用となって、精神の安定に少なからず貢献しているのだろうが、それも常態化すると効果が次第に薄れてゆく。
(精神の救済という意味では、私は本当に追い詰められたときには詩をかいている。最近これがないということは、その必要がなくなっているということだ)


もう既にこの文章が駄文と化しているので、結論をまとめると、以上のような日常のどうでもよいことに関しては、敢えて取り上げたいこと以外は書かないようにする、となる。
まあ、たまには良いだろうが(あくまでも遊びとして。こんな駄文を書くことが私の「ライフワーク」なのではない)、基本的には禁止。
あんたがどれだけ本に散在したか(昨日も30冊近く買って見事に今月の書籍代の予算をオーバーした)や、どれだけ健康状態が悪かったかなど、(自分自身も含めて)誰も気にしちゃいない。
とにかく、無駄な文を書く時間を削減し、その時間をより意味のあるインプットやアウトプットに充てることだ。