東京レポート4-3

前日に、すさまじい浪費をしてしまったので(毎度のことじゃないか)、この日の書店訪問は禁止
頭少し冷やせ、体少し動かせ(結局重い荷物背負って思い本抱えてうろちょろしていたので体は動かしていることになっているはずだが)ということで、バッティングセンターに行った。
↑「ということで」から論理が飛躍しているぞ、おい


何故毎日のように都心に用事があるのに、毎回西東京市に陣取っているのか。
それはバッティングセンターに歩いていけるから
も、勿論、住み慣れた(正確には住んではいないので「通い慣れた」が正しい)街だから、である。


はいはい。
(今回数少ない明るいネタだな)<毎回深刻に考えすぎるんだよ、あんたは>


で、外野は無視して。
(おいこら、無視すんな)<はいはい、気にしないで先進めないと終わんないよ>
(なにぉお。主は自分を無視すんのか)
・・・いや、自分だから無視するんでしょ。


閑話休題
本当に早く事実だけを述べていかないとエンドレスになる。
バッティングセンターまでは徒歩で20分ほど。
以前は自転車で通っていた(通っていた?)のだが、勿論自転車など持ってきてはいない。
最近シャトルバスが運行するようになったということを、到着してから知ったのだが、必要もないのにバスなんぞに乗って苦しい思いをする気はさらさらない。
なにより、空がこんなにも青いのに。
本を読まないなんて歩いていかないなんて、損じゃないか。
(お、だいぶ調子が出てきたねぇ)<まあ、まじめな話はもう書いちゃったからな>
というわけで、久々に、読歩。
私、日本読歩協会の会長にして唯一の会員。
会員募集中、でも悪い子限定。
よい子は真似しちゃダメ。<はいはい>


この日はもう一つ目的があった。
前回行こうとして断念した自転車屋(現在の愛車の購入店!)に行くことである。
さすがに4年も経って(4年か?)、というか、普段の使い方が余りにも荒いので、愛車に限界を感じていた。
別に徳島にも自転車屋がないわけではないが(むしろ徳島の方が通が一杯いるのだが)、何せ素人だからよく解らない。
ので、一度買った店に走るって、典型的な依存型の消費者の行動だよね、これって。
まあ、良いではないか。
人は常に賢い消費者であることは出来ないのだよ。
(消費って言葉、大嫌い)


で。
まだバッティングの話にたどり着かない・・・。
この日のメインイベントでもないのに。



結局一通り店内眺めただけで、店員さんに声をかけることもなく、10分もせずに出てきてしまった。
結論から言えば、金がないそりゃ、そうだ。
良い自転車買えるだけの金を書籍につぎ込んで来たばっかりなのだから。


バッティングセンターは自転車屋のすぐ近く(隣と表現しても間違いではない)にある。
ここは、自称「東京で(打席数が)最大の」バッティングセンターらしい(たぶん本当)。
甲子園球児どころかプロが打ちに来ることもあるらしい(これは解らない)。
そんなひろ〜いバッティングセンターで、平日の昼であることをいいことに、のんびりとバッティングを楽しむのである。


痛っ
あ〜あ。
やってしまいました。
この人、約1ヶ月前のあれ以来、まだ右手首が完治していないのである。
なのに、サポーター忘れてきた・・・。


それでも構わずに100球超(125くらいか?)を打ち続けた。
馬鹿ぁ?
はい、馬鹿です。
しかし、残念なことに、150kmのバッターボックスに立つことは出来なかった。
前の東京レポートでは、「140kmを打つ漢」を名乗りたいばかりに140kmに挑戦した(いや、一応打てるんだけどね。直球だけなら)、と書いたが、今回はGWスペシャル(・・・と思いきや、28日だったので「野球の日」だったそうな。後で教えてもらった)で、150km。
1回だけ挑戦したことがある(155kmだったかな?)。
5/20くらいだった。
前に飛ばなかったけどね。


この日のバッティングの調子は最悪だった。
たぶん、体が起きていなかったからだ(しゃれではない)と思う。
そもそも直球オンリー(しかも急速は一定)で空振りなどしないのだが、この日は始め、バットにまともにボールが当たらなかった。
たぶんマイバット(軟式のバットなのでとても軽い)の感覚で体ごと打ちに行こうとして、バットの重さに負けて思うようなスウィングが出来ずに空振りしていたのだろうが(後で軽い方のバットに切り替えると空振りしなくなった)、運動能力落ちたかな。
この日の収穫は、左打ちのフォームの修正が出来たことくらい。
左は重いバットの方がフォームが安定するので打ちやすいようだ。
右は軽いバットに慣れてしまっているので、軽いバットでないと駄目らしい。<そうやって何事にも成果を求めるから疲れるんだよ。もっと楽しめばいいのに>


で。
肝心の150kmだが、「今日の調子ではもしかすると当たらないかも知れないな〜。でも滅多にないチャンスだからやっぱり球筋見ていきたいなぁ」と躊躇しつつ、ようやく(130kmがまともに前に飛ぶようになったので)挑戦する気になった時に、「調整中」の札をかけられてしまった。
仕方がないので10分ほどベンチで待っていたら、悟られたらしく店員さんに声をかけられた。

もしかして、150kmをお待ちですか?

親切な方だ。
嘘をついても何の利得もないので、正直に「ええ」と答えると、マシンの調整をしている同僚の方にどのくらいかかるのか確認をとってくださった。
親切な方だ。
しかし、残念なことに小一時間はかかってしまうとのことだったので、(さすがにその場で「じゃ、帰る」はないだろうと)130kmをもう一回だけ打って帰った。
う〜ん。
残念。
だが、8,9の付く日にはやっているということだから、次回あるいは、というところか。
(翌日は29日だったが、予定が埋まっていたので難しそうであった)


また読歩しながらホテルに戻り、小休止。
すぐにホテルを出てその足で向かったのは・・・。
書店
まあ、なんて懲りない人なの、というご指摘はごもっともだが、一応名目はあった。


昨日手に入れ損ねたプレゼント用の書籍が、○ュンク堂に置いてあることを確認したのである。
1冊のみ、在庫僅少、とあったので、ほとんど賭だったのだが。


それにしても、流行ってこんなもんなのね。
昨年夏に流行った(と思っているのは、当地に住んでいる人だけなのか?実は地元だけ盛り上がっていた??)本が、どこ探しても見つからない。
田舎の本屋さんじゃない。
都心の大型書店で、である。
出版の世界って・・・きびしいね。


目的の本は見つかった。
さあ帰ろうすぐに帰ろう今すぐ帰ろうレジへ直行脇目もふらずにご精算をlet'sらゴーゴー。
・・・・・・。
てなるわけないよね。
なるんだったら、こんなに苦労しないよね。
というわけで、結局この日もカゴ一杯の本を仕入れたのでした(この間約30分)。
まあ、一応言い訳しておくと、仕入れた本は

  • 昨日見つけられなかった技術書
  • 滞在中に読む新書(新書切らしたので)
  • 梅田さんの最新刊
  • グノーシス研究の最近出た注目本(大貫氏!)

なのでそれぞれ明確な理由が・・・・・・。
(一番最後、何?)<まあ、この人はこんなのが好きなのだ>


いい加減くたびれたので(主に財布と鞄が)、予定通り(??)休憩をとりにいつもの喫茶店へ。
学生時代に毎日のように入り浸っては、時にコーヒー一杯で10時間近くも粘って本を読む、PCで何やら怪しいレポートを書く、ゼミの課題の漢文と睨めっこする、くたびれ果ててそのまま寝てしまう(!!)、また起きて今度は勉強のまねごとをする、とさんざんやりたい放題させてもらっていた(本当にご免なさい。このご恩は上京の度に足繁く通うことでお返しします)お店である。
最初の上京の時には行く機会がなかったが、前回・前々回はきっちりとご挨拶に伺っている。
(きちんと覚えられていた。そりゃあ、まあ、そうだろう)
今回はここで、明後日の打ち合わせでご提示する予定のサンプルシナリオを書こうという魂胆である(なんだ、やっぱりご迷惑おかけしているじゃないか)。


本来はもう少し早い時間から籠もって・・・と思っていたのだが、いろいろと寄り道をしたので夕方になってしまった。
待ち合わせの時間まで3時間ほど、お邪魔させていただき、そのうち2時間強はシナリオを書いていた。
明後日お会いする方には本当にやっつけで申し訳ないと思いながらも4000字くらいの原稿をえいやと打ち込んだ。
(後日これは見事にボツにするのだが。まあ、これはこれで全く無駄ではなかった)


やや慌て気味に店を失礼して、向かった先は有楽町。
大隈塾の飲み会が開催されるのである。
昨日お会いした方が幹事となり、お声がけしてくださった会。
遅れるわけには参らぬ・・・と思うならもう少し余裕持って行こうな、な。
見慣れぬ街で見事に迷子に・・・はならなかったけれども結局は10分ほど遅れてしまった。
が、着いてびっくり先輩だらけ(同期はお一人だけだった)。
どっひゃー。
というわけで、見慣れた面子だと思って出席した飲み会で自己紹介をする羽目になったのでした。
(一応事前に先輩方の飲み会と合流するというお話は頂いていました。念のため)


時間が経つにつれて人は増えていったのだが、というよりも店に入りきらないくらい溢れていったのだが、今回はやや雰囲気が違ったか、なかなか場に馴染めず。
普段通り隅っこでおとなしくだんまり、で終電の時間を迎えることになってしまった。
(幹事の方に申し訳ない。せっかく集まっていただいたのに、当の本人がこんなにやる気がないのでは)
まあ、皆それぞれ盛り上がっていたようなので、良かったが。


なんというか。
やはり出来る方たちは違うな、と改めて感じた。
私のように疲れ果てていてやる気のない人間はお呼びでないというところ。
いや、それが正しいのだ。
彼らは私などと違ってこれからのこの国を引っ張っていく人材となる人たちなのだから。
私なぞ吹き飛ばすくらいのエネルギーとバイタリティがなければやっていけないだろう。
むしろこの活気は歓迎すべきことである。
ただ、私はこの場にいるにはあまりも疲れすぎている、そう感じた。
ここでは私は必要とされていない。
(繰り返しになるが、それは正しいことである)
私がこの場に居続けるためには、私はこの病気から立ち直らなければならない。
それまでは、私はただの邪魔者である。
(何度でも繰り返すが、それは正しいことである)
幹事さんには申し訳ないが、あの場は私にとってあまりにも眩しすぎた。