この人が苦手なバスに乗ってまで(頼むから神戸まで鉄道で行けるようにしてくれ)、よそにでかけるのは、必然性に迫られてのことである。
何かといえば、1年前にも受験した、日本語文章能力検定。


昨年見事に○級に合格したので(4回目のチャレンジ。頭悪)、いよいよ今年は頂点を目指そうと心に決めていた。
(嘘。直前になって急に受ける気になった)
今回は、「まあ、よほど運が良かったら合格できるかもね」という気持ちで臨んだ。
理由は、この級、参考書が1冊も無いのである。
ある情報は、本試の断片情報だけ。
謎に包まれた試験。
これでは対策のしようがない。
(もっとも、あったとしても怠け者のお前は何もしなかっただろうが)


まあ、試験問題持って帰るだけぐらいの軽い気持ちで、ただし、苦手のバスに乗るので決死の思いで神戸に向かった。
バス停まで自転車で山あり谷ありで約30分。
隣町の空港近くのターミナルまで出かけた。
いや、市内でもよかったんだけど、かかる時間あまり変わらないし、料金少しだけ安くなるし、なんといってもバスに乗る時間がそれだけ減るのだ。


行きのバスは何とか耐えられた。
前日まで体調不良だっただけに意外だったが、勿論何もないに越したことはない。


試験会場に向かってみると(電車で♪電車LOVE)、受験者と思わしき人が校舎内に散っていた。
Why?
どうやら待合室が、道場のような部屋1室だけで、しかも椅子がないらしい(勿論暖房も)。
なんという待遇・・・。
私も冷たい床の上でじっと座っている(しかも人大勢の中)のは耐えられなかったので、どこかの階段の下で試験まで過ごすことにした。
雨だってのに。
・・・・・・。
・・・・・・。
寒い。


資格試験を受ける度に思うのだが、何で毎回このような苦痛を強いられるのだろうが。
(病気の作用も含めて)


一応参考書は持ってきていたのだが、それは「手紙文」の書き方の本だった。
で、あまりにも試験内容を知らなすぎたのだが、私が受ける級には「手紙文」は出題されないのだった。
あんぽんたん


試験は90分で、最後の15分くらいはいつもの症状が発症して苦しんでいたが、それ以上に解答に時間が無くて必死だったので、苦しみつつも強引に目の前の小論を規定の字数埋めることに専念した。
前々回のような悲劇(あと1行足りなくて採点の対象にならない)も、終了2分くらい前にぎりぎりクリアして、どうにか解答を埋めた状態で提出した。
まあ、初めてにしては上出来じゃない、という出来だった。
(これは後ほど大きな勘違いであったことが判明する)


せっかく神戸に来たのだからと、「フリーダム」のメンバーにおみやげを買って帰ることにした。
が、そのお土産は、メンバーの誰にも渡っていない。
では、どこに行ったって?
私の腹の中。
なんでって?
それはもう、賞味期限をしっかりと見ていなかったからですよ。<まぬけ>


帰りはお約束の○ュンク堂で、ウィンドウ・・・になるわけないか。
確かこの時期は家計が火の車で、書店への出入りそのものを禁止していたはずだが、そんなこと旅行の解放感でわ〜すれてし〜まいましただ。<いや、確信犯だろ>
(あ、ばれた)


で、帰りのバスでは薬が全く効かずに死にそうなめに遭ったのでした。
ていうか、高速バスの形式が変わってしまっていて、病気持ちの私にとってますます乗りづらい環境になってしまっているのだけど、どうしてくれるんだ、これは。
もう、乗りたくないんだけど。
(でも日本語文章能力検定の会場は今のところ神戸しかない・・・)


帰宅後、模範解答を見てショックを受ける。
な、なんだこれは。
こんなレベルの低い、形式だけを重視した文章を求めているのか、1級では。
(あ、言っちゃった)
この時点で合格の可能性は無くなった。
何せ、解答の形式がまるで異なっていたからだ。
(実際にその問題は0点が付いて返ってきた。はっきり言うが、「分析」という観点からは、むしろ模範解答の方が0点だと私は思う)
求められている水準がこんなにも低いものであるとは思わず、大いに失望した。
これって、取得する意味あるの?
こんな文章が書けるようになったところで、何の役にもたたないよ(お役所じゃあるまいし)。


↑という偉そうなことは、見事合格した上で堂々と言ってやりたい。
ので、たぶん来年も挑戦すると思う。
もう求められているものは解ったのだ。
形式的な文章を書けというのなら、書いてやろうじゃないか。
ただ、バスがなぁ・・・。