誇りある沖縄へ (Clickシリーズ)

誇りある沖縄へ (Clickシリーズ)

書名:誇りある沖縄へ
著者:小林よしのり


沖縄の左翼反日教育の凄まじさ(とその程度の低さ)に関しては以前から問題だと感じていたが、現状がここまでひどいとは知らなかった。
言論封殺もいいところで、「小林よしのり」に関わることが職を失うレベルにまで到達するようでは、本書でも指摘されているように「敢えて考えることを放棄」させているとしか思えない。
(小林よしのりに問題があることは確かだが、冷静に彼の著書を読めば、軍国主義的右翼でもなんでもないことはすぐ解る。解らない人は左翼イデオロギーに染まりきった人か、冗談がまったく通じない人だ)


米軍基地も少女暴行事件も平和憲法も確かに問題は問題なのだが、では何故侃々諤々と議論を行わないのか。
理由は単純で、冷静な議論をすると、必ず自分たちに都合の悪いことがでてくるからだ。
だから議論にしないで「運動」にする。
「決起集会」とかいったって、実際に基地がなくなれば防衛上も経済上も大いに困ることは解っているから、現実的な提案は出さない。
万年野党のどこかの党と同じ。
非難はするが対案は出さない。
或いは非現実的な提案を平気で持ち出してくる。
自分たちがそれを実現することになるとは露にも思っていないからだ。


本書では、正直言うとあまり程度の高い議論は行われていない。
具体的な提案も少ない。
「集団自決」で「軍命」があったのか無かったのかといった細事に紙面を割きすぎている。
(勿論彼らはそういう細事を必死に訴えたいのではない。が、結果的にそうなっている)
具体的に沖縄が誇りを取り戻すためにどうすれば良いのかということもほとんど示されていない(唯一具体的な提案と言えるのは「学力日本一を目指す」くらい。それに関しても「どうやって」の部分はなおざり)。
だが、本書で特に沖縄の人が気がつかなければならないのは、いつまでも被害者根性で「基地があるから」「過去にひどい扱いを受けたから」などと言いつづけていただけでは(そして何かことある度に「弱者」であることを強調して国に物乞いをしているようでは)いつまで経っても誇りを取り戻すことは出来ないということだ。


いい加減に被害者面するのはやめよう、基地や平和に関してはきちんと地に足の着いた議論をしよう(そして反対の立場の意見も冷静に受け止めて議論しよう)、「格差」を是正するための自助努力を行おう、そういう気にさせてくれたとすれば、本書は十分な価値を持つ。
そのための良書であるか判断は難しいところ。
一応「良書」という評価にする。


ちなみに私は自分が沖縄の出身であることにずっとコンプレックスを感じていた。
私にとっての沖縄は「学力が最低」で、あるゆること(特に時間)にいい加減な土地というマイナスのイメージである。
私自身は非常にそういう面を気にするから、そう言われないように(まだまだ不足しているのだが)人一倍努力してきたつもりである。
言葉のなまりに関しても目立たないようにするために努力した(これは高校の時に放送部に入っていたことも大きい。イントネーションなどを意識するようになった)。
解る人には解ってしまうのだが、今では自分から出身地を述べない限り、気づかれることはない。
そして私はそのこと(地方の出であると思われないこと)を良いことであると思っている。
(「何か方言をしゃべってみて」なんて大きなお世話だ。こちとらそちらのエキゾチシズムに基づく差別意識に応じるだけのサービス精神を持ち合わせていない。この辺りの話は以前の書評にも書いた)


ハンディがあるから最下位でも当然という開き直り、「被害者」だから助けてもらっても当然という腐った根性をどうにかしなければならない。
県民には、本書を読んで目を覚まし、真に誇りを持つために人一倍努力して実力で闘って欲しい。
(ちなみに、私は本書でも言及されている「芸能」先進地域としての沖縄という位置づけはあまり好きではない。差別的な意味合いはないが、古来から「芸能」の地位は低い。何か沖縄を「芸能」先進地域と見なす視線に上記でも述べたエキゾチシズム的蔑視を感じてあまり気持ちが良くない(その点スポーツはまだ少しまし)。学力が全てとは言わないが、やはり学力で全国並となり、優秀な人材を輩出、そして彼らが地元に帰ってくるようにしなければ、いつまで経っても国依存の脆弱で誇りのかけらもないという状態から抜け出すことは出来ない)