私の思想の核となる論文「世界は何故いかにして物語か」に1か月ぶりに手を付けた。
のはいいのだが、早速行き詰まった。


「消えないものの方が消滅するものよりも『本質的である』」ということを論証しようとして、「消滅するもの」の例として「愛」を挙げた。
問題は、「いつか消えるもの」に対してしか「愛」は成立しないという余計な文を書いてしまったことにある。
書いたからには何らかの根拠があったのだろう。
実際、直観は間違いなくその通りだと言っているのだが、どのように考えても納得のいく説明が出来ない。


「消えることのないもの」の代表と言えば神である。
だから、「神は愛し得ない」ということを論証できれば、納得のいく説明が出来ると考えたが、よくよく考えると「神を愛する」とはキリスト教徒がよく使う表現である。
従って、「神」は「消えることのないもの」ではない、か、この場合の「愛する」とは私が例示した「愛」とは質を異にするものである、という論の展開が考えられるが、前者だとそもそもの前提が覆っているし、後者だと論の冒頭から2種類の「愛する」を設定することになりややこしい。
つまり、これは例として不適切だったというわけだ。


それならそうと別の例を探せばいいかというと、そうは問屋が卸さない。
「消えることのないもの」を愛せてしまえば、その「消えることのないもの」に対する愛はいつまでも消えずに残ってしまうということになり、「愛」が「消滅するもの」の例として不適切なものであるということが証明されてしまう。
それではそもそもの出発点からこけてしまっていることになる。
これは解決しておかなければならない問いなのである。


この問いを解決するためには、まず始めにキリスト教徒の言う「神を愛する」とはどういうことなのかということを明らかにしなければならない。
しかし、聖書なんて読んだのは遙か昔のこと。
最近は異端思想ばかり読んでいるから正統派の教義がどうだったか完全に忘れてしまっている。
というわけで、どん詰まり


普段如何に自分の言葉で語ってこなかったかを思い知らされた。
いざ自分の言葉で語り出そうとしたときに、少しも筆が進まないのである。
精進あるのみ。



↑というシリアスな話をしようとしたのに・・・。

なんじゃこりゃ
まったく、はてなも面白いことしてくれる。
ちなみに、この字は自室にかかっている掛け軸の文字。
デジカメは人にあげちゃったから手書きで・・・。
何か、間違っている。