↑2/1である


結局教習所通いは辞めた。
理由はいくらでもある。

  1. 2月に引っ越しする準備が出来ていない
  2. 大学受験生の授業が大量に残っている
  3. 基本情報技術者試験の勉強がしたい
  4. 体調が優れない
  5. 好きな本を読みたい

などなど


しかし、最大の要因はやはり、肉体的・精神的苦痛が大きすぎる、というものだろう。
とかく「わたし」は「ある空間において誰か人と強制的に関わらざるをえない」という状況において多大なストレスを感じるらしい。
これが精神的なものだけならばたいした問題ではないのだが(いや、十分問題だと思うぞ)、胃腸など複数の箇所にて物理的な苦しみを感じるものだから始末におえない。
これがまた苦しみだけならば問題ないのだが・・・まあ、この先を語るのはやめよう。


その原因も解っているつもりだ。
まず一つは極度な人間不審。<わたし>は世界中の人間を一度も一瞬たりとも信用したことがない。
勿論私は現実に適応して日々生活を送っているから、なんらかの形で周りの人のことを「信用して」いるはずなのであるが、少なくとも<わたし>は確率統計論的に有意義な数値以上には人を信用する理由はないと思っている。
その敷衍で、<わたし>はわたしや「わたし」のことを少しも信用していない。
どんなに勉強をしても、どれだけ練習をしても、或いは他人に「出来る」と言われても、<わたし>はわたしが何か出来ると思ったことは一度もない。
そしてその<わたし>の期待に応えるかのように、わたしは重要な場面でことごとく<わたし>に反抗した。
これは一見病気のように見えて病気ではない(と少なくとも私は主張する)。
理由は以下の二つである。
一つは、本人がそれを「直(治)したい」と思っていないこと、
もう一つは、本人がそれを「自覚」しているということ、
である。
精神的な病気はその性質上本人が「自覚」することはない。


二つ目の原因は、度を超えた自己攻撃である。
「わたし」はどのようなことも全て私のせいにして、自らを責める癖がある。
それが私のせいだというのは「思いこみ」に過ぎないと「解って」いるにも拘わらず、それでも自分を攻撃するのである。
これは恐らく「わたし」が自分を攻撃することにより、「痛み」を生じさせ、感傷的な気分に浸りたいと思って引き起こしている現象である。<私を「マゾヒスト」と呼びたければそう呼ぶがいい>


5年ほど前からずっと、以上の原因により私は肉体的或いは精神的に問題を抱えるようになり(医者の診断は問題なし、である。精神科にはかかっていない。理由は上記の通り。私は自分が病気であるとは思わない。この性格を直したいとも思わない。)、特に車の運転と言わず、全てのことにおいて、誰かと何かを行うことが「苦痛」となり、或いは(試験会場など)一人の場面でも長時間集中するということが出来なくなった。
ただし<わたし>はわたしや「わたし」のこのような反抗をなんら認めていないので、目的合理性の下、必要とあれば共同で何かを行う場を設け、或いはそれに積極的に参加してきた。<わたし>は「わたし」やわたしの「苦痛」を負の価値だとは認めない。
勿論正の価値でもない。
強いて言えば興味がないのだ。


今回の教習通いに関しては、確実にわたしと「わたし」が尋常ならざる「苦痛」を被っていた。
その状況でよく考えてみれば、私には免許を持つ強い動機がないのである。
もともと取得しても使うつもりはなかったのだが、それは私が「遊び」に行かないからである。
勿論、人と会ったり、人を送ったりもしない。
これから先自分の人生においてそのような場面があるとも思わない。
では何故、教習所に通うことにしたのか。
理由はただ一つ、自分の力に自信がなかったからである。<この時点で矛盾している>
即ち、私は「技術系」での採用だが、プログラミングに関してはド素人もいいところ、という状態である。
従って、最初の研修の結果、営業等に回される可能性が高い(と自分で勝手に思い込んだ)。
その場合、免許が必要になるのではないか(或いは持っていないと肩たたきに遭うのではないか)、と考えたのである。
しかしここにいたり、自分が「苦痛」によって被るコストと、拘束時間(体調を整えるために睡眠をしっかりととるということまで含めて)を考えると、それを基本情報技術の勉強に充てた方がより効率がいいのではないか、そのように思われてきたのである。
かくして私は教習所を辞める決心をしたのである。


まあ、どれだけ理屈をこねても逃げたのには変わりないが。


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