全ては起こるべくして起こる。
そうでなかったろうことは一つもない。
どのような結果であろうとも受け入れる。
運命(さだめ)

滅びはわがさだめ
あらがう必要はない


卒論が撃沈した。
これまでのものは全て無に帰す。
この時期にもかかわらず、zeroからのやり直し。
当然だ。
この一年間何もしていなかったのだから。
いくら二次文献の量を増やそうとも、文字数が一万を超えていても、駄目なものは駄目である。
駄目だと知っていてなぜ挑んだのか。
宣告を受け止めるため。
現実と向き合うため。
運命を受け入れるため。


物理的に無理なのだ。
能力が圧倒的に不足しているのだ。
努力ではどうしようもないことがある。


それでは全てを放棄するのか?



それではなぜ努力をするのか?


美しく散るため