aigakikoeru

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愛が聞こえる


ぬくもり by KOKIA

そう、愛は「聞こえる」のだ。
決して「見える」ものでも「示される」(同じことか)ものでもない。


なきたい
正確には感じているのは閉塞感なのだろうが、この感じはそのように理性で割り切れるようなものではないのだろう。
なきたい


もう記憶しているだけでも7年以上になる。
ドライアイだなんて誤魔化してきたが、事態は思った以上に深刻なのかも知れない。
この手で打ち壊して来た感情の破片は、壊れたガラスのかけらとなって胸に突き刺さっていたのかも知れない。
まあ、実際の感覚としてはひものついた分銅や鉛の玉に引っ張られて沈んでいるといった方が近いのだが(それでは美しくない)。
しかし。
自分はもうどこかで気づいているのかも知れない。

人は独りでは泣けないのかもしれない


一般論とは逆行するけどね。

一人で泣くことは出来ても
一人で笑うことは出来ない

だろ。


だけど一人でいる分には感情など意味をなさないだろう?
全ては快不快に収束されてしまうのだろうから。
まあ、「共感」といってもその実態はそれぞれが自分の快に浸っているだけに過ぎないのだろうけど(ほら、その辺がいけないのだよ)。


100歩譲って(相変わらず素直じゃないなあ)「共感」に各々の快以上の付加価値があるとして、ヲタクや引き籠もりが気持ち悪いのはそのような「共感」をシャットアウトして自らの快(不快)に固執しているからだろう。
東浩紀が「動物」と呼んでいるものもそのような快不快原則だけの(性)世界を自分たちで作り上げている者たちのことだろう。
そのような者たちを私は嫌悪し、憎悪すらしているのだが、それは自分がそのような者たちと五十歩百歩の位置にいるからなのかも知れない。
いわゆる近親憎悪ってやつ。
認めたくないけど。
たぶん一生認めないけど。


夢で懐かしい人に会った。
懐かしいとはあくまで修辞上の話で、自分の感情を分析するとおそらくそのようなことを感じていたのではないかと思われたということだけではあるが。
・・・・・・。
今日は自分のひねくれた言い訳は聞きたくない。
そうやって自分や自分の身体の変化や自分の感情(まだあるとすれば)を片端から否定していくから自滅するのだといい加減気づいたらどうなんだ。
・・・・・・。
いや、気づいているのだろう。
認めたがらないだけなのだ。

もう君を嗤う人はだれもいない
君以外には


だから後は君の問題だ
君が上手く今の君と折り合いをつけるまで
その病は治らないよ


その人はあの頃と同じように快活で活発でこちらの事情なんてお構いなしに私を強引に振り回していた。
当時は私も無知で快活で、持ち前の小賢しさと達者な口で応酬していた・・・。


勿論それは失われてしまった過去を美化しようとする妄想に過ぎないのだが、自分に本当に必要なものはなくしてからしか気づくことが出来ない悲しい人間のサガがそこには現れている。
私も人間の端くれとしてその例に漏れるものではない。


失われたものに気づいて、それを取り戻そうとしてもそれは取り戻せない。
記憶は年月を経るごとに当人の中で純化されるが、現実に手に入れることが出来るものはそれとは似ても似つかない偽物でしかない。
偽物を本物と自分に思いこませ、「これが欲しかったのだ」と自分に言い聞かせ、自分を騙し続けていくことが「生きる」という業であり、それに慣れていくのが大人であるとすれば、私は生涯大人にはなるまい。
そしてそれはまさに人生という悲劇の幕開けの合図である。


自分を水際に追い込むために意図的に過去を捨て、遺物を封印し、振り向くことを戒めてきた。
夢潰え、幻想を自ら破り、気力・体力共に消耗しきった今になって古い記憶が頭をもたげてくることになることは
想定内
のことである。
だからといってその事態に直面したときのわたしの反応まで制御できるほど<わたし>はこの自分を支配できていない。
受け入れるしかないのだが、<わたし>はまた全力で否認するのだろう。
そしてまた自分の首を絞める行を続けていく・・・。


その夢は小学校の頃のことであったと記憶しているが、定かではない。

10/14追記


生きた時間が積み重ねられていくにつれて、気高さや美しさに対する負の遺産が積み重ねられているように感じる。
死すれば全てが無に帰すということだけが、自分を支える唯一の希望である。
その淡い期待があるから、生き続けることの恐怖を押さえ込むことが出来る。
地獄は生きている人間にとってしか意味のないものである。


フーコー―主体という夢:生の権力 (入門・哲学者シリーズ 2)

フーコー―主体という夢:生の権力 (入門・哲学者シリーズ 2)

私はフーコーが神について語ろうとしていたのではないかとつねづね考えてきていた。
自分の論を強化するためにも、早い段階でフーコーを読まなければと思い、ちくま新書の入門書も手元に置いているのだが、手を付けられずにいた。


ちなみに、哲学をやるために、小難しい原書や、ましてその原書を原語で読むなどということは必要ではない。
それが必要になるのは、哲学「学」をやらざるをえない研究者とその卵だけである。
他人の哲学は、あくまで自分の哲学の呼び水でしかなく、他人の思考の遍歴を理解したところで、満足感は味わえても、自分の哲学を深めるようなことにはまずならない。
「君。原書を読まなければ駄目だよ。」というような輩に限って、自分では哲学をしていないから(勿論例外はいる。少なくとも永井均中島義道は自分で哲学をしている)、「なんで人類は滅びちゃいけないんですか?」などの問いに対して、「カントは」とか「サルトルは」とか他人の言説を偉そうに引用して答えたつもりになる。
そういう輩は、「じゃあ、先生はどう考えるのですか」などと少しでもつっこんだ問いをすると「まあ、カントが言っていることは妥当だね」と言って自分の哲学がないことをあっさり認めてしまうか、「難しい問題だね」「君はどう考えるんだ、それが重要なんだ」などと言って煙に巻こうとするか、「そんな問いはナンセンスだ」「君は〜という用語と・・・という用語の違いが分かっていない。不勉強だ」と言って逆ギレするかのいずれかの応対をする。
意外に思えるかも知れないが、漫画のように教授をやりこめてしまうことは少なくとも一般の学生には無理なことである。
相手が哲学教師なら尚のことで、原因は論理構成力と論理武装のレベルの差である(しかし最も大きいのは、憎むべき「大人力」の差である)。
勿論、やりこめる方法はなくはないのだが、そのような「自分で哲学をしていない」哲学「学」者と討論するのは時間の無駄以外の何ものでもない。
彼らに対しては怒りすら通り越して、憐れみを感じる。
少なくとも哲学に関しては他人に教わる形で学ぶことは出来ない(哲学書の読み方や問いの立て方ぐらいなら教わることができる。それだけ学べば後は無用である)。
以上は私が原書を読む力を持たないことに因るルサンチマンがなした戯言である。
死人と同様負け犬にも口はない。


本書はフーコーの入門書としては不十分である。
帯に「中学生でも理解できる」(普通の生徒なら高校生でもとうてい無理だと思うが)とふってあるだけあって(そして貫さんが書いているだけあって)、読み易く理解しやすい内容となっているが、本書で書かれている内容はフーコーに関する常識レベルにとどまっており、思想の片鱗にすら触れられた感はしない。
具体的には「死の権力」「生の権力」の概念の理解でとどまっており、後期フーコーポスト構造主義的な哲学に関する記述は皆無である。
フーコーのことは名前ぐらいしか知らない、という人が初めて読む分にはよい本であろう。
だが、同じ読むなら貫さんの書いた『図解雑学 哲学』とちくま新書の『哲学マップ』の2冊を続けて読む方が多くの哲学者に関する理解が出来るという点で費用対効果の面からもよい。
この分だと一緒に買った『ニーチェ』『カント』の出来も怪しいな。


ひと目でわかる VISUAL C++2005アプリケーション開発入門 (マイクロソフト公式解説書)

ひと目でわかる VISUAL C++2005アプリケーション開発入門 (マイクロソフト公式解説書)

とにかくアプリケーション開発の経験が欲しい、とのことで、本書を購入して通して読んで学習した。
何故C++かといえば、Javaのバイナリデータ操作に対して不信感を持ってしまったことと、Cをメインにして書かれたプログラミング本のコードが読めなくなっていたことに対する危機感である。
何故VisualC++かと言えば、GUIが簡単に作成できるということと、C++のフリーコンパイラ統合開発環境としてVisualC++しか思い当たらなかったからである。
・・・・・・。
実に安易な思いこみでたどり着いた本書であるが、値段相応分の勉強にはなった・・・と信じたい。


作ろうと思ったソフトは、Midiのバイナリコードを読み込んでメッセージ単位で出力するアプリ、であったが、途中バイナリコードをほぼ正しくコンソールに出力できた時点で、Midiのバイナリコード仕様に対する知識が欠落している(そしてその情報がすぐには手に入りそうにはない)と気づき、断念した。
他にもやることがいっぱいあるからだ。


結局その判断は正しかった・・・と信じたい(今日はいつにもまして弱気だな)。
VisualC++のExpressEditionでは本書にある機能のいくつかが使用できなかったため、最終的にアプリとして完成させることが困難になっただろうと思われたからである。
そういうわけで自分でアプリを開発することは延期となり、後半はただひたすら読むだけとなったが、冒頭で述べたとおり値段相応の勉強にはなった・・・と信じたい。


嗚呼。
早く、「こんな本俺には不要だぜ」と切り捨てられるだけのソフトウェア開発力を身につけたい・・・。