1/6である。
夕飯(タコライス)をかきこみながら書いている(胃に悪いからよしなって)。
好きな文章を書き続けることは少しも苦にならない。
例え15時間でも。
・・・・・・。
職を間違えたかしらん。

久しぶりのあの人は
やっぱり素敵だった


これまで私の感情が成長してこなかったのは、出会うべき人に巡り会わなかったからなのだろうか。
それとも私自身が頑なに成長を拒み続けてきたからなのだろうか。


かつて私はその問いに、「私は心を開いている」と答えたことがあった。
確かに私は己の感情に素直になることに覚悟を決めたのかも知れない。
しかし私は結局、己の感情を吐露しそうな場面を意識的に或いは無意識に避けてきたのだ。
それは幼い自分が怖れから自らを守る手段としてその小賢しさを最大限に利用して行ってきたことなのだろう。


きっと私は「ハイタカ」なのだ。
何か別のことにのめり込む代わりに己の感情の成長が遅れてしまった。
竜や死の恐怖は克服したけれど、人と人との交流、そしてそこから生まれる感情を前にすると、恐怖でいてもたってもいられなくなり、その場から逃げ出すことしかできないのだ。
彼と違って私がのめり込んで来たのは人のためにならない卑小なことで、彼と違って私に救いの機会は訪れないのだけれど。


幸か不幸か私は求めなければ与えられない年となった。
幸か不幸か私は私の感情に対して絶対的な力を行使するだけの自制心を持った。
求めなければ与えられないだろう。
許さなければ表出しないだろう。


たぶん私は求めないだろう。
たぶん私は許さないだろう。
私は己の感情の未熟さを寂しく思いながらも、それが未熟であり続ける方を常に選択するだろう。
何かが変わらない限り。
何かが変わらない限り。